夏の旅行 2017年 ぶらぶら旅 その4 栃木県~岐阜県 富岡製糸場編
日光東照宮を離れて、いざ群馬へ。
お昼時にきても、なかなかの人でした。
入口を入ったすぐのところです。
入ったところの石碑は「片倉工業株式会社」の記念碑。
富岡製糸場の最後のオーナーです。
製糸場内には、昔使っていた機械や建物などが展示されています。
製糸場内に入って順路で言えば一番最初の展示スペースには、
手作業で繭から意図を取りだす道具が展示されています。
そのすぐそばには、蚕と繭が展示されています。
これはどう見ても生きています。
芋虫嫌いな人にはダメでしょうが、これが糸の素とは・・・。
蚕の拡大写真です。
良くもまぁ、あんなに同じ太さの糸を出すもんです。
こちらは、繭の写真です。
このまま展示してたら中からあれが出てくるんじゃないでしょうか。
こちはら繭を飼っている状態を再現したものですが、
本物でしょうか??
現在、富岡製糸場の繭を保管していたレンガ造りの建物の補修作業中でした。
補修作業現場も見れますが、大人はヘルメット第200円が必要です。
でも、すぐに見終わり、これぐらいはタダでも良いような気がします。
その上、展示説明パネルの写真まで撮影禁止なのが納得いきませんが、
それぞれ事情があるのでしょうがない。
補修作業現場の見学をする前に蒸気で動くブリュナエンジンの復元機が展示
されていました。こちらは、本当に動くようです。
このエンジンは繭から糸を操る事と糸を巻き取るための回転動力として、
開発されてものです。
製糸場では大量の水を使います。
そのために、このような大きな鉄の水槽を作って、水を貯めていたそうです。
日本で現存する最古級の鉄製構造物と書かれています。
せっかくなので近づいてみると、そこそこ大きいです。
現代でこそこれより大きなタンクなどがありますが、たくさんありますが、
当時は作るのに大変だったと思います。
よくよく見るとリベット構造。
一ヵ所穴が開いていて、覗けるようになっていました。
こんな感じです。
この製糸場内には、幹部の家族などが住んでいた社宅があります。
ちょっと昔のような感じの建物ですが、明治時代の建物だそうです。
こちらは東の繭置場です。
先ほどの補修作業中の繭置場は西置繭所になります。
中は何もありません。
当たり前でしょうが、何か欲しいところ。
建物内は少々暗かったので、集光して撮影しました。
置繭所はいくらあっても足りなかったんでしょうね。
世界に輸出されるほどだったようです。
外観はこんな感じです。
東置繭所入口階段から撮影したものです。
これ変電所です。
今なら絶対に変電所の届け出したら、すぐ却下されるような作りですが、
何も事故や火災はなかったんでしょうか。
東置繭所外観だったと思います。
色々回っているとどこを撮影したか忘れてしまいます。
ここが製糸場の入口です。
木造の普通の建物のように見えます。
中は当時稼働していた自動繰糸機でいっぱいです。
これだけの繰糸機が一度に動いていたと言う事は、
どれだけの蚕がいたんでしょうか・・・。
よくも切れずに自動で巻き取っていたなと関心するばかりです。
天井にはハンガー式の何かがぶら下がっています。
繰糸機の構造説明があります。
切れたかどうかもわかるみたいです。
何やらややこしい。
繰糸工程の流れが描かれています。
こちらは写真付きでの流れ説明。
製糸場を出ると近くに診療所があります。
現代と変わらずこの時代から会社内に診療所があるって言うのは
良い仕事環境だったことがうかがえます。
ブリュナが過ごしたお家です。
後に改装されているので、その当時の面影はないようです。
当時女性従業員のために建てられた寮「榛名寮」です。
女性従業員に対して、手厚い対応をしていたことがうかがえます。
他にも寄宿舎が複数残っていますが、
近くには行けませんでした。
こちらは、蚕種製造所跡で何もない草原です。
なので看板だけ載せておきます。
これで約2時間。
ゆっくり見学できました。
見学を終えて、外に出て、来る時に気になった焼き団子を買ってみました。
見た目は、大きな饅頭ですが、
柔らかそうで意外と噛み切るのが大変なあま醤油味の団子でした。
値段は250~300円程度で売られています。
この日はお宿のある岐阜まで一気に移動しました。
今回は岐阜は宿泊のみで、次回京都編です。